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生きて虜囚の辱めを受けることなかれ

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昨日、15日は沖縄の本土復帰記念日でした↑↑
1972年の5月15日に本土復帰して、アメリカ統治下から日本になりました☆
そこに至るまでには先人たちの計り知れないご尽力力があったことは間違いありません。
そんな本土復帰記念日にメカルは美術館に行ってきました
知立駅でたまたま見つけたポスターが画像です
ひめゆり学徒隊に関する資料が沖縄からやってくるということで、これは見に行かなくては…と誓ったのが入院するために電車に乗ったときだったんです
一ヶ月以上心に秘めて、やっといくことができました☆
沖縄に帰省してもなかなか資料館等にはいく時間がない…という言い訳からいってませんでした…
そして沖縄の人、メカルの祖父母もそうですが、戦争の話をすることはほとんどありません
それほどまでに悲しい歴史です
ひめゆり学徒隊というのは15~19歳までの女子学生が属し、主に野戦病院の看護や死体の処理、炊事、なんでもやったんです
メカルは仲宗根先生や宮良ルリさんなど、本という形で後世に残してくださった方々の体験を読みました
死体にウジがわいて、死体を食べる音。
怪我をした友人を置いて離れる心境。
なにもかもが想像を絶するものです
細かなことを言えば長くなるのですが、当時の最高司令官は降伏を許さず、最後の一人まで戦えと言って自決しています
学徒隊は非戦闘員なので、戦火の中、解散します
どこに行っても米兵がいるのに解散ということは、言ってみれば、
君達を管理下に置く余裕はないから…じゃあね
という感じです
まぁ、失礼な表現かも知れませんが、軍のために働いてきてどうしようもないから解散というのは上記のように感じてもしょうがないです
タイトルは戦時訓です
ひめゆり学徒隊は師範学校という将来の教育を担う人物が属していたため、タイトルのような戦時訓は徹底して教えられ、誰もが信じて疑いませんでした
そこに教育の責任とか恐ろしさがあるのですが、この話はまたいつか…
途方もない情況に、ひめゆり学徒隊の方々はいろんな経験をします
辺りを米兵に取り囲まれたとき、一人の学生が手榴弾で自決を図ろうとしました
そこで一緒にいた仲宗根先生が言ったそうです
「詮をを抜くな。一人でも多く生き延びてこのことを後世に伝えろ。君らが怪我をしても置いていく。私が怪我をしてもおいていけ。」
と。
仲宗根先生は教育者としてこのことを後世に伝える重大さを生徒に教えたんですね
戦後65年が経とうとしています。
あの青い海や緑の木々の下にはたくさんの人の血が流れてると生き残った方は話していました
80歳を越えても、修学旅行生や観光客の方に当時の話をして、伝える任務を全うしているひめゆり学徒隊の方々。
思い出したくもない過去を毎日のように振り返りながら伝えるひめゆりの方々。
捕虜となっても治安維持法で家族に害がないかと心配をしたり、生死を分けた友人に対して何とも言えない感情を抱いたり…
戦争が終わっても傷はなくなりません
メカルは本土復帰記念日という日に、ひめゆり学徒隊のことを勉強でき、本当によかったです
ひめゆり学徒隊が全国的に有名ですが、沖縄には様々な学徒隊が結成され、女子は主に看護、男子は伝令などの役目がありました
男子においては鉄血勤皇隊として最後は切り込みに連れていかれたり、爆弾を抱えて戦車にもぐったりしています
そんな学徒隊で2006人の若い命が散ったことになります
現在の高校生にあたる年齢でそのような体験をしたんですね
そんな方々も高齢化が進み、近い将来、戦争体験を直接聞くことはできなくなるでしょう…
忘れたいほどの悲しい過去を、はらわたを引っ掻き回すような傷みとともに思い出し、伝えて下さる証言者の方々。
最近は修学旅行でも話を真面目に聞かなかったり寝たりすることがあるとのこと。
「何かを考えるきっかけになれば…」
という思いで証言し続ける方々の偉大さを改めて感じました
メカルなんかダメだ
面白くないことや思い出したくないことから逃げてる
何もかもを逃げずにしっかりと見つめる、沖縄の先輩方を見習いたいと思います
復帰しても基地問題などのたくさんの問題を抱えている沖縄。
そんな沖縄のマンパワーは凄いんです
皆さん、機会があればぜひ、メカルのblogの本棚にある、沖縄戦に関する本を読んで下さい。
お願いします。
明日からの一週間もガンバルンバ♪

銘苅メソッド~強く投げるためのトレーニング

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コメント

  1. たまこ より:

    戦争の話を聞く機会はだんだんと減ってきていますね。
    先日、特攻隊だった患者さんとお話することがありました。
    その頃は、特攻隊に志願することは誇りであり
    お国のために最も良い方法だったとおっしゃってました。
    若い心は教育によって本当にいろんな方向に向かいますよね。
    最近のテレビ番組やニュースもそうだなとよく思います。
    疑う気持ちを持つことも、大事なのかもしれませんね。

  2. 陽子 より:

    昨年も銘苅くんのブログでこの日について想いを巡らせました。
    当然のことですが、
    この一年のうちに亡くなられた戦争体験者の方々は沢山おられるわけで。。。
    私の祖父も90を超えました。
    曾祖母に至っては103歳になります。
    私に当時の様子を話すことは遂にないかも知れませんが、
    私が私自身で知ることと学ぶことは止めないでいたいです。

  3. アダン より:

    ひめゆりの塔行った時、
    想像もできない程の事実にただ呆然としてしまって…
    あんなにキレイな海と海岸なのに、血と鉄のがたえず降り注いでいたなんて…
    後世に伝えていかなきゃね☆

  4. きんぎょ より:

    年々、戦争経験者は減っていき、いずれ直接当時のお話を聞くことができなくなる日が来てしまう。でも戦争があった事実は消えない。
    戦争を知らない世代は戦争の悲惨さを今一度学び、戦争のない世の中にしていかなくてはいけないと思います。

  5. ちいさなおこちゃま より:

    当時の”教育”を考えるとやりきれない思いに
    なります。当時の方の考えや真意には到底
    及びません。
    戦争のこと、目を逸らさず学ぶことが大切
    ですね。
    そして今の沖縄のことも。

  6. クマ より:

    こんにちは☆銘苅くん昨日のお月様見ました?月の先端に星が一つあって…この月は全国、全世界から見れてるのかなぁとホッこりしてました☆
    暗闇と恐怖感いっぱいの中、兵隊さんや女学生達は何に明日への希望を感じてたのかな?銃や爆撃の光じゃなく、空に光る星&お月様が唯一の希望だったんじゃないかな?
    少しでも光が降り注がれ、どんな小さいことでも明日への希望を先輩方が持てていたと願いたいです☆
    今日の岩手の空はすがすがしいです♪

  7. あん子 より:

    私が小学校の頃、学校の授業で戦争中の事を描いたマンガの映画を何回か見た覚えがある。マンガ仕立てだったので、子供でも戦争の悲しさとか現在との思想や生活の違いとか色々と考えさせられた記憶があるよ。今の学校はただでさえ授業日数が足りないとかで、かっつめて進めてる感があってそんなの見せてる時間がないのかな?
    やっぱり実際にあった事だし、忘れてはいけない事だと思うしそういう機会を子供達に与えて欲しいと思う。何人かは絶対<心に残るモノ>があると思うよ。

  8. RIE より:

    私もギリギリセーフでしたが見に行きました。時間がなく、学徒隊の方々のVTRがしっかり見ることができませんでしたが…
    学校教育では、広島長崎の原爆が注目されています。同じくらいに、沖縄戦についても知るべきだと感じました。
    唯一の地上戦であり、あのキレイな海の奥にはたくさんの血と想いがあることをもっと知ったうえで沖縄を好きになるべきだとも思いました。
    昨年あえて取り上げたら、子供たちは、キレイな沖縄の様子と沖縄戦の映像を見るだけでも何か感じるものがあったようです。

  9. とも より:

    今年の3月にも沖縄に行った時は平和祈念資料館に行きました。今までは観光地沖縄としかとらえてなかったけど過去にあった事を知り、沖縄のイイとこだけじゃなくもっと沖縄の事を知らなければいけないなぁと思い知らされました(>_<)
    自分たちが体験した事を伝えていく…
    ホンマに覚悟がいるし語る度に傷をえぐられるよーな思いをしているのに寝たりしてるとか信じれないです。
    もっともっとみんながいろんな事を知っていかないとダメですね!

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