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カリスマ教師・カリスマ指導者になりたい人はご一読ください。

教師の役割って何なのか。。。

以下の記事、ご一読ください。

カリスマ教師が担任した翌年はクラスが荒れる!?―「今度の先生面白くないんだもん」の言葉で気付いた「教師の役割」

教師という仕事ではですね、、、

難しいですよね。

大学を卒業してすぐに教員になろうものなら、、、

すぐに「先生、先生」と言われ呼ばれ、

先生という立場から言うことを聞かせることができ、

ちょっとした勘違いなんてよくあることだと思う。。。

「〇〇先生の教えた子どもたち、いいですよね」

なんていわれようなものなら、

うれしいですよね。

確かに小学校のときとか、

担任の先生が誰かというのはかなり大きい。

そのときの人生の大部分を占める学校生活。

クラスメイトもそうですが、

担任の先生が誰なのか、というのは非常に大きな問題。

それこそ、「いい先生」に当たれば保護者も喜ぶ。

じゃあ、「いい先生」って何が違うのか?

一言でいえば、、、「楽しい」んですよ。

クラスの雰囲気を良くしてくれる。

一人一人に声掛けしてくれる。

いろんな仕掛け工夫をして楽しませてくれる。

ベクトルを定めて導いてくれる。

などなど。

だけどさ、

その学級がずっと続くわけではない。

その先生がずっと一緒にいるわけではない。

となると、、、

その先生から離れてしまったときに、、、

あの時は楽しかった。

あの先生は良かった。

あの先生なら楽しいのに。

いまの先生楽しくない。

となりかねない。

ひとつ、楽しい経験と感情を覚えてしまったために、

ひとつ、基準ができてしまったときに、

それと比較して現状に不満が出てしまう。。。

これはまずい。

他の先生の力がない、というわけではない。

もちろん、そういう場合もある。

だけど、それこそカリスマ指導者のあとを預かる先生は

プレッシャーも半端ない。。

みんながみんなカリスマ先生になれるわけではない。

という前提は、子どもや生徒、保護者たちは理解できない。

教師は毎年何十人の児童生徒を相手にする。

one of them かもしれないけど、

児童生徒からしたら

only one の先生になる。

たった一言でこの子の人生が変わることもあれば、

たった一言でこの子の人生が暗転することもあります。

すべての子どもたちに良き変化を及ぼすのは至難の業ですが、

少なくとも、悪い影響を及ぼさないようにしたいものですよね。

そしてさ、

自分がいたらとてもいい子なんだけど、

自分じゃなくてもいい子にしないといけないよね。

いい子。という表現が何ともセンスないけど。。。(笑)

まぁ、ハンドボールの指導者に置き換えたらわかりやすいかな。。。

全国屈指のカリスマ指導者のチームは

挨拶もきちんとして整理整頓もしっかりする。

ハンドボールのパフォーマンスも高いし、

評判のいい素晴らしい選手。

だけれども、、、

次のステージに上がると

そのカリスマ指導者ではなくなってしまって、、、

この指導者は教えてくれない、

こんなところがダメ。

なんて評価をしたり、

カリスマ指導者の目がないから

挨拶もしない、整理整頓もしない、

パフォーマンスは適当、

後輩をいじめる。

なんてこと、ないですかね。

ない方がいいですよね。

でもさ、そんな選手を見たらさ、

カリスマ指導者はさ、

せっかく作り上げて送り出したのに、

次の指導者は何もしてくれない。。。

あの選手は自分が見ているときはこんなにもよかったのに、

いまとなっては全然伸びていない。

と嘆く。。。

これじゃあ、いけない。

その指導者じゃないとやれない。

その指導者じゃないとだめ。

指導者を評価して選んで自分のパフォーマンスを決める。

そんな選手になっちゃうとさ、ダメだよね。

だって、人を見てすべてを判断してるんだから。

あの指導者が挨拶とかうるさく言わないから大丈夫。

あの指導者は挨拶とかうるさいから怒られないようにしとかなきゃ。

という判断基準ができてしまうとだめなのです。

常に最善を尽くすのではなく、

人を見て、がんばる、妥協する、手を抜く。

そんな選手を育成してはいけないのです。

本当に力のある指導者なら、

その指導者から離れたとき、

もしも次のステージでその指導者ほどの人物に出会えなくても、

そのときにできるベストを、最善を尽くせるようになっているはずです。

なぜならば、本質がわかっているから。

本質を伝えることができず、

ファッションで、その場しのぎで、カムフラージュで、

あれやこれをしたとしても、

いつかはばれますね。

教師として、カリスマと呼ばれることは悪くない。

だけど、その学校でしか通用しないやり方はダメ。

その先生の前しかできない児童生徒もダメ。

カリスマになるのは難しいね。

本当のカリスマはその人に依存させたり、

信者を作るのではなく、

どこに行っても通用するよう何かを授けることができて、

その場その場でその人らしさを発揮できる種まきをしておくことですよね。

教育というのは

何の花が咲くかもわからない種を、

大事に大事に育てることですよね。

いつ発芽して開花するかわからない。

どんな色の花かもわからない。

だけど、水をあげて、雑草をとって、肥料を与えて、

折れそうになったら添え木をして、

害虫が来たら駆除して、

いつかその花が咲くのを待つ。

いますぐに開花させるのではなく、

その子のタイミングで開花できるように、

たくさんのつぼみをつけてあげること。

これに尽きる。

指導者はその開花を見届けることができないかもしれない。

だけど、いつかその花が立派に咲いて、

たくさんの人が喜んで、

実を結んで、種になって、

それがまたあちこちに飛んでいくのを楽しみに生きるしかないと思うのです。

「いつか」を楽しみにできる人間じゃないと教育者としての資質がないと思うのです。

いまはわからないかもしれないけど、いつかわかるかもしれない。

何度言ってもわからないからもうあきらめる。

のではなく、

何度でも何度でも。

10001回目には何か変わるかもしれない。

という「いつか」への「期待感」なくして、

教育や指導という現場にいてはいけないのです。

悲しいかな、日本の学校制度、部活動制度は

3年、4年という学年での区切りがあるので、

その間に結果を残さないといけないというジレンマもあるはずです。

だけど、強制開花させられた花の寿命は長くないです。

本当に教え子のことを思うのであれば、、、

長い目で「いつか」に期待するしかないですね。

振り返ったときにカリスマだったといわれるのが一番ですね。

まぁ、カリスマ指導者って周りがそう呼び立てるだけで、

実際の本人はあまりそう感じていないのかもしれませんね。

一昔前に流行ったカリスマ美容師っていまもカリスマしてるのかな???(笑)

いつもすみませんね、、、教員でもないくせに失礼しました。。。

銘苅メソッド~強く投げるためのトレーニング

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