教育はサービスだと思う。件について。

先日のブログ、それなりにお読みくださったみたいでうれしい限りです。

http://handball-mekaru.com/2017/02/17/taibatu/

 

以下、メカルが思うこと。

教員はサービス業だ。

 

こうやって書くと、また怒られるかもしれません。。。

メカルの周りにはたくさんの素晴らしい先生方がいらっしゃるので、

その方々の怒りに到達しなければいいのですが。

 

そもそも、サービス業とは何か?

以下、Wikipediaより。

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同時性(: simultaneity
売り買いした後にモノが残らず、生産と同時に消費されていく。
不可分性(: inseparability
生産消費を切り離すことは不可能である。
不均質性/変動性(: variability
品質は一定ではない。
無形成/非有形性(: intangibility
触ることができない、はっきりとした形がないため、商品を購入前に見たり試したりすることが不可能。
消滅性(: perishability
形のないものゆえ、在庫にすることが不可能である。

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なんかさ、サービス業と聞くと、

お金を払ったらなんでもサービスしてくれる感じがしますけど。。。

そんなことないですよね。

なんかさ、日本はさ、昔はさ、教育には熱心な国だったじゃないですか。

寺子屋とかで勉強を教えてもらってさ。

そのまじめさで高度経済成長とかもしたじゃないですか。

昔は勉強を教えてくれる人を先生と尊敬したのに、

いまとなっては、なんだかもう、立場逆転みたいな。。。

お金を払っていれば、もしくは義務だから、

学校に何をしてもいいわけではない。

学校という小社会で、家庭で出来ない学びや経験を育むものですよね。

 

同時性(: simultaneity売り買いした後にモノが残らず、生産と同時に消費されていく。

教育というのは一番落とし込めるタイミングというものがあります。

それをティーチングモーメントと言います。

教えたと同時にその学びは子どもたちの中に入っていって、

子どもたち自身が育んでいくことになりますね。

その瞬間はあっという間に過ぎていきます。

何か残せるかはわかりませんが、残っているはず。

 

不可分性(: inseparability生産消費を切り離すことは不可能である。

教える側の教師。教えられる側の生徒。

その関係性を切り離すことはできません。

教える子どもたちがいないと教師という役割も成り立ちません。

この関係性は切り離すことはできません。

 

不均質性/変動性(: variability品質は一定ではない。

これは教師という立場にいる人も、人間ということです。

完全な人間はいません。

同じ学習指導要領であったとして、

同じ教材を使ったとしても、

または同じ教師だとしても、

生徒の反応によっては同じような効果は望めません。

先生によってやり方も様々なので、

すべての人が同じ水準で教育というサービスを受けられるわけではないです。

教師も生徒同様に、経験によって育まれていく学びも大きいので、

経験によって同じ人物、同じ教材だとしても、

サービスというのは変わってくるはずです。

 

無形成/非有形性(: intangibility触ることができない、はっきりとした形がないため、商品を購入前に見たり試したりすることが不可能。

学校で何を習ったか強烈に覚えていることがありますか??

「学校」という漢字をどうやって覚えたか記憶にありますか??

きっとないと思います。

でも、確実に「学校」という漢字を覚えるために、

教師からのアプローチを受けているはずです。

でも、何をしてもらったかは覚えていない。

それが教育、というものですよね。

教育というものにはっきりとした形があるわけではないです。

人を育む学校という社会の中で、

教師としてのサービスの価値というのは、

その子がどんな人に成長したのか、という部分なのかもしれませんね。

教師それぞれで教育とは、、、というものがあるかと思います。

形がないからこそ、形になっていつか見える教育というサービスは面白いですね。

 

消滅性(: perishability形のないものゆえ、在庫にすることが不可能であ

上述したとおり、教える、教えられるという関係性の中で、

その両者がそろわないことには教育というサービスは成立しません。

ドリルや参考書などを教育サービスというのであれば別ですが、

ここでは含みません。

教師という教える立場の人がいないことには、

教えられるということにはならないんですよね。

だから、ストックはできないんですよ。

覚えていて後で復讐することはあっても、

その瞬間にしか味わえない何かがある。

例えば、講習会とかがそうですよね。

メカルが現場に行ってその瞬間でしか感じない空気感もある。

同じトレーニングメニューをしても、同じ空気にはならない。

そこの空気感というのは形がないですが、

在庫としてストックする事はできませんよね。

だから、その瞬間が大事なんだと思います。

学校教育でもそうだと思います。

 

教育というサービスを考えた時、

ずばり当てはまるんじゃないかと思うんですよね。

でもさ、サービスと言っても、

何でもかんでも要求していいわけじゃない。

例えば、飲食店だってサービス業ですが、

牛丼屋に入って特上寿司を頼むことはできません。

ディズニーリゾートにいって、スヌーピーと写真を撮ることはできません。

できないことはできないんです。

もちろん、

牛丼つゆだくにして

牛丼玉ねぎ抜き

ごはん大盛り

それくらいならサービスの中で出来るけど、

牛丼屋で刺身は食べようと思っても食べられませんし、

そんな要求をするお客さんがおかしいとさえ思ってしまう。。。

 

学校だって同じようなことが言えると思います。

教育というのはニーズに応えることです。

70年以上前の教育は国のニーズに応えた結果、

富国強兵。お国のために死ぬことが美徳。

と多くの人が信じていました。

それは国としてベクトルを保つためのニーズでした。

時代が変わればニーズも変化します。

そのニーズに応えることが教育には求められます。

しかし、ですよ。

日本という民族の心の奥にある、

普遍性とか不変性とかを教えていかないといけないんだと思います。

いつの時代も幅広く求められる一般的な普遍性。

いつの時代も変わらない不変性。

それらは日本人として教えていかないといけないと思います。

ダメなものはダメ。そこに理由はない。みたいなやつです。

そして、教えられる側の実態に合わせて、

ニーズに応えて行くことも大事。

商業や工業高校では、資格や技術を手に入れることが求められる。

そこで高度な英語や数学、古典などはニーズに則さない。

ニーズに則したサービスを提供するのが、教育ですね。

 

教育はサービス。という前提での話です。

教育というのは、普遍的で不変的なものを授けます。

教育を受けた児童や生徒が、

いつ開花するのか。

どんな花が咲くのか。

どこで咲くのか。

わかりません。

だけど、水をあげて、雑草を抜いて、肥料を与えて、陽ざしを浴びせて

育むんです。どこでいつどんな花が咲くかわからないけど。

そのいつか?どんな?を楽しみにできる人が、

教育という仕事に向いている人だと思います。

それこそ、サービスですよね。

教師という立場から見て、その時の最大努力下において、

児童や生徒にアプローチしてるんですから。

多くの場合、開花したその児童生徒と会うことなんてほとんどないけど、

その瞬間に丹精込めて、育んでいるんですから。

ニーズに応えて、普遍的で不変的なものを授けるサービス。

教育って素晴らしいと本当に思います。

 

いまは教師が抱える仕事の量が多いと思います。

大学が学生のモーニングコールするとか、本当に馬鹿げてる。

教育はサービスだと思うけど、

教師はServant、使用人ではないです。

 

教材研究をして、部活動指導をして、

一生懸命やってる教師が、

当たらず触らずのマニュアル通りの教師よりなぜか損した感じになる。

そんな学校という職場で、

努力が報われるとか、まじめにやってる人が得をするとか、

言えなくない??

毎日うそをつく、というか自分でも信じられていないことを

生徒に言わないといけないというのも不憫だわ。

 

これからの社会、教師という立ち位置がこれまでよりも難しくなると思います。

昔は優秀な人ほど教師になって地元に戻ってこい、

ってな感じだったけどね、今はどうなんでしょうか?

サービスだから、対象がどうしたらもっと喜ぶか、

もっと学習効果が高まるか、そんなことを考えることができる人が

教師という仕事を目指してほしいですね。

 

はっきり言って、本を読めばいいことを、

教師という仕事を通して得られた

どうしたらよりよく伝わるか、というノウハウを提供しているんだから。

サービスですよね。

 

以前、ツイッターで

こっちは親という仕事を24時間休まずに給料をもらわずにやってるんだ。

みたいなものがありましたが、

バカなんじゃないかと思うよね。

じゃあ、お前が教育しろよって感じ。

お前ができないんだから学校にお願いして委託してるんだろ。

そもそも教師だって親かもしれんだろ。

親でさえ兄弟が多かったら躾という家庭教育もままならないことがあるのに、

40人の生徒を抱えてる教師のことこれっぽっちも想像できないかね?

思いやりがないわ、想像力がない。

 

もちろん、指導力不足という教師もいますよ、絶対。

だって、不完全な人間なんですからね。

サービスも均一ではないですから。

そこは話し合いですよ。

文句じゃなくて、サービスの範囲内で対応できるような依頼。

それが嫌なら、子どものために、学校を変えるしかなくない???

学校に文句を言ってくるほどに教育熱心ならば、

子どものためならそれくらいできるでしょ。

本気出せば。

っていうか、何を求めているの?学校に。って感じ。

 

とかいう自分が親になったときには、

いろいろ言うかもしれんな。。。(笑)

 

長々とありがとうございました。

何度も言いますが、メカルはただの、

教師という仕事にあこがれを抱く、ただの人です。

憧れであって教師になったことはないし親になったこともないで

31歳独身男の戯言ですのであしからず。

でもさ、教師ってすごくいい職業だと思うわけ。

メカルもずっとなりたいと思って生きてきたもんね。

今後どうなるかわからんけど。。。

 

あ、メカチャンしましたよ。

ストリートハンドボールと日本リーグについて。

そしてGKの考え方などについて話をしました。

GKの田口がゲストです。

お時間あるときにご視聴ください☆

画像は数年前のもの。

恩師が授けてくれた無形の教育活動。

全然至らないけど、間違いなく今のメカルを形成しているのは確かです。

そして教え子の多くは沖縄に帰って指導に携わっていたりします。

生涯を通じてハンドボールに携わることができる人材。

後継者、指導者の育成をしていることが偉大ですよね。

 

今日もゆかる日まさる日。

ぐすーじさびら。

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