君はアドラーを知っているか?アドラー心理学をスポーツで考えてみる。

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4回にわたりアドラー心理学を個人的にまとめました。

君はアドラー心理学を知ってるか?久しぶりにドキューンと来た知的好奇心。

君はアドラーを知っているか?普通とはなんなのか?【劣等感】

君はアドラーを知っているか?すべては対人関係。【承認欲求と課題の分離】

君はアドラーを知っているか?褒めるのではなく感謝する共同体感覚【嫌われる勇気】

忘備録を兼ねているので、動画を元にした自身のメモと思ったことを書いているだけですけどね。

でも、このアドラー心理学、自分の考え方の整理や、

これまでの生き方と照らし合わせて、本当におもしろかった。

 

だって、劣等感なんてみんな持っているし、

スペインでハンドボールしているとそれを感じることも多いし、

自分の状態が悪い時なんて劣等感ばかりですもんね。。。

さて、アドラー心理学をハンドボールにつなげてみます。

 

同じミスを何度もしてしまう

同じような情況で同じミスを何度もしてしまう選手、いませんか?

私も何度もやってしまいます。

そのとき、いいイメージを持つようにするのですが、

どうしても過去にミスしたことを思い出し、

ミスをしないようにしないように、と思ってしまうのです。

これはいけませんね。

過去の原因をではなく、いまの目的を考える、というのがポイントです。

過去と同じミスをしないのが目的ではありません。

いまの状況を打破することが目的です。

ミスをしないようにするのではなく、得点するためにはどうするかを考える。

抜かれないようにするのではなく、守るためにはどうするかを考える。

ミスをしないようにプレイするよりも、

ミスをするかもしれないけど、

目的を達成するようにプレイする方が勇気がいります。

だけど、ミスをしないようにするというのが、

一番のミスであることを指導者が伝え続けることがポイントですね。

自分ができるプレイの中で、ミスをしないようにプレイする方がラクですからね。

ミスをするなという指導よりも、

いまの状況の打開策を具体的に指導することです。

選手としては変わらないという決心ではなく、

変わるという勇気が必要です。

同じ現象でも、意味付けで全然違ってきます。

失敗したらまた怒られるんじゃないか?

この情況は今の自分を高めるチャンスだ。

と意味づけを変えることですね。

劣等感について

自分は身長が低いのです。

だからハンドボールを楽しくないんです。

だからチャンスが少ないのです。

と感じている人、いませんか?

身長が低いからチャンスもなく、可能性も狭められ、

やっててもなんか楽しくない。小さいからあの強い学校に入れないと思っていませんか?

それは完全に劣等コンプレックスです。

じゃあ、身長が高かったらハンドボール楽しくなりますか?

身長が高かったらチャンスがあふれているのですか?

身長が高ければ希望の学校に入れるのですか?

アドラー心理学としては、

それは劣等コンプレックスで、思い込みです。

自分が身長が高いとしても代表選手のようになれないかもしれない、

身長が高いとしてもチャンスがないかもしれない。

身長が高いとしてもこの環境は楽しくない。

身長が高くてもあの学校でやっていく自信がない。

そう思わないために軽度のコンプレックスを持ち出して、

目の前の課題から逃げようとしています。

それは不健全です。

自分を受けいれることができていません。

ないものねだりをしても周りは変わりません。

いい仲間がいない、いい指導者がいない、

この地域はハンドボールが盛んじゃない、がんばっても報われない。

原因を外に見つけ出して、自分を納得させようとしています。

そして、こんな状況でも頑張っているんだ、ということで

こんなにも可哀そうなんです、と特異的な優越性を持たせる

優越コンプレックスです。

大きな選手だってコンプレックスはあります。

大きいくせに動けないとか、大きいから遅い、

と言われるとそれはコンプレックスですから、

身長が高いとハンドボールが楽しいとか、

チャンスがあるとかは一概には言えないのではないでしょうか?

もちろん、現状ではNTSやJOCなど、

大型選手の発掘育成を目的としてる事業もありますが、

そんなのは大型じゃない選手からしたら、課題が違います。

JOCの優秀選手のその後フル代表になるかと言われると違いますから。

そこに着目していると自分が幸せになる勇気を放棄しています。

人を羨ましがってばかりいても、

自分が生きたい生き方とは違うかもしれませんからね。

 

ライフスタイルを変えるしかないです。

小さい選手は、大きな選手が考えないことまで考えてプレイしないと通用しない。

ということは大きな選手よりも深くプレイを探求できる。

だからこそ、その競技を好きになれるし、深く取り組める。

と考えると大きな選手よりもできることは増えるかもしれません。

 

人は不思議なもので、自分が幸せであることと同時に、

誰かの不幸せがないと満足しにくいみたいです。

幸せの価値基準というものは人それぞれですが、

この世の中、相対的に誰かと比較することで

自分の幸せを感じるのかもしれません。

誰かよりいいものを持っている、優れているという優越性。

誰かよりも劣っているという劣等性。

それらの誰かと比べることだけでの幸せの基準はちょっと残念ですよね。

いつもは華やかな芸能人が不倫で叩かれたら一気に騒ぐ。

一方で誰かをうらやんで、一方で誰かをさげすんでいる典型ですね。

 

承認欲求と賞罰教育

トレーニング中に、

これに負けたらペナルティを課す、

負けたら走らされる。

みたいなこと言ったりやったりしていませんか?

これは外発的動機づけでもあります。

罰を受けたくないからがんばる。

その行為自体に自分の意志が関係なくなってしまう可能性があります。

練習中、指導者に怒られないようにプレイする、

これをやっていれば指導者は機嫌がいいから声を出す。

そんな動機づけでは、自分で動機づけできなくなってしまいます。

自分の行為に価値判断ができなくなってしまいます。

例えば、いつも言いますが、

指導者の前では挨拶もする、礼儀も正しい集団が、

その指導者が見ていない時には、ぱっぱらぱーな集団で、

挨拶もしない、素行も悪い、評判も悪い、

その指導者から卒業したら、次のステージでは使い物にならない、

という集団の中の一人だとしたら、何の意味もないです。

価値を判断できないから、その指導者の域を出てしまうと何もできなくなってしまいます。

ゴミを拾うことは面倒くさい。

だけど、指導者がやれというからやる。

指導者から、そういうところにも意識が向いているんだと褒められるからやる。

褒められなかったら、誰も見ていないところでは意識もしない。

というのであればその指導というは間違っています。

本質を伝えきれていないので。。。

ただ指導者が怖いからやってるだけです。

怒られないように、指導者の機嫌が良くなるように、

その行為の意味付けはそうなってしまいます。

 

課題の分離

一生懸命がんばっているのに誰も見ててくれない。

がんばって練習しているのに試合に出れないからやる気をなくす

と悩んでいる人はいませんか??

あの人は自分を使ってくれないので嫌いだ。と思っていませんか??

試合に使うかどうかは監督の課題です。

いまやる気出して練習をするかしないかは自分の課題です。

大事な場面で7mを任せられた。

指名した監督と、7mスローに全力で臨む自分の課題は別です。

課題の分離をしないといけません。

試合に勝つか負けるかの責任は最終的には監督の課題です。

自分が目の前のトレーニングにどう取り組むかは自分の課題です。

試合に使うか使わないかではなく、

使われたときに100%のプレイができるように準備するのが

自分の課題なんです。

試合に出れないからと言って、

監督が悪いとか、練習やる気なくすとか、

いつもやってた食事やトレーニングやストレッチをおざなりにするというのは、

個人の課題です。

自分が変わらないことには相手は変わらないでしょう。

自分が変わったとしても相手が変わるかどうかはわかりません。

課題が違うのです。

でも、自分が変わったという事実は残ります。

勇気をもって何かを変えたという事実は残るし、

そこにはライフスタイルとしての意味付けを変化させる能力が身についているでしょう。

自分の能力を高めることができたという捉え方ができます。

 

共同体感覚

チーム競技というのは共同体感覚を養うのに最適かもしれませんね。

社会に出てしまったら、相対的に比較されることが多いです。

営業成績、実質仕事量など、データで比較されてしまいます。

チーム競技でもそうです。

チームで一番に努力をしても、チームで一番活躍できないかもしれないし、

試合にすら出れない可能性もある。

だけど、集団での自分の立ち位置を知って、役割を知って、

その中で自分がどうチームに貢献できるか考えて、

チームの仲間みんなで協力して何かに向かう、

何かを達成しようとする。

それが共同体感覚になるんだと思います。

日本の学校体育の中では、

先輩後輩という縦の関係性が強いですが、

チームをうまく回そうと思うと、評価ではなく、感謝を伝えるべきですね。

プレイ中にどんな言葉を使っていますか?

メカルは、「サンキュ」ってよく言ってるかも。

「ナイス」よりも「サンキュ」の方が、

貢献感は高いのかもしれませんね。。。

 

ハンドボールをしていてもアドラー心理学を応用できるというか、

アドラーを知って整理されたことも多いです。

メカルも誰かに好かれるために生きてるわけではない、といつも言いますが、

嫌われるために生きてるわけでもない。

でも、自分の自由な人生と引き換えに窮屈な生き方で万人に好かれるよりはいいかな。

もちろん、自分の自由な人生が万人に好かれたらいいんだろうけど。

 

まぁ、いいや。

長くなりましたが、これでアドラー心理学の個人的まとめを終わります。

お付き合いくださりありがとうございました。

明日という日もこれまでの続き☆

 

 

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